~平成20(2008)年度・ダイジェスト版~
目 次
4月号 5月号 6月号 7月号 8月号 9月号
10月号 11月号 12月号 1月号 2月号 3月号
平成19(2007)年度・ダイジェスト版へ
平成20年4月10日発行・第311号 | ||
新しい学校評価制度について 学校及び設置者等が学校運営の改善を図るために、学校の教育活動その他の学校運営の状況について評価を行うことを「学校評価」といいます。これまで本校でも自己評価を実施し、学校運営の改善に努めてきました。教育活動等の成果を検証し、必要な支援、改善を行うことにより、児童がよりよい教育活動を享受できるよう学校運営の改善と発展をめざしてきました。 また本校の教育活動にかかわる保護者アンケート調査を実施し、それを集計・分析し、学校運営の改善に役立てる一方、保護者の皆様にもお返ししてきました。それでも全国的には実施内容が不十分で、評価結果の公表が進んでいない等の課題もあったということです。 そのような状況下、今年度よりこの学校評価の実施と公表が義務化されることになりました。 学校評価には次の3種類があります。 第50条 自己評価については、校内学校評価委員会を設置して、評価項目の見直しを行い 、新しい評価様式を作成すること。また公表の方法・回数・時期等を検討することにしています。 ■ 春の全国交通安全運動について ■ 入学おめでとうございます。 |
||
目次へ |
平成20年5月8日発行・第312号 | ||
上市来「木の花」歳時記‐春編 小学生の頃から野生植物の花が織りなす風景はごく自然に目に入ってきて、記憶にとどめていてました。しかしそれを特に美しいと思ったことはありませんでした。牧園町に勤務のころ、細々とつないでいた植物への興味が一気に嵩じて、植物図鑑が手垢に染まるほどになりました。 今、郷土の自然が四季折々に見せてくれる花々を素直に美しいと感じます。その花々を、木の花に限定して紹介してみたいと思います。 ハヤトミツバツツジは鹿児島県特産の野生ツツジです。それも県内全域に自生するのではなく、特定の地域に偏在しています。養母区では、高山の町境の険しい崖にありました。高山の民家の庭先にはその証拠に4月上旬鮮やかにピンクの花が咲きそろいます。地域によって花の時期にずれがあり、蒲生の山間部では2月の初めから咲き始めるものがあります。数多い日本の野生ツツジのさきがけです。現在では自生種を見つけることは極めて困難になっています。 キブシも春の目覚めの早い植物です。花の時期がおわると、この木がどこにあめるのかわからないようになるほど特徴のない木です。でも花の時期だけは別でまだ目覚めない道路端の藪に葉の出る前に花を咲かせますから、少し気をつけるとすぐに目に入ります。花の咲いた様子がかんざしに似ているので、かんざしのような花と説明していますが、キブシの花をこんなに表現してあったのをほかにも見つけた時は、大変うれしく思いました。 ハクサンボクはありふれた白い花で、たくさんの小さな花が寄り集まって一つの大きな花に見せます。この植物は秋にもう一度その存在を赤く熟れた実によって示します。花の時期より晩秋の赤い実の時期が私は好きで、大きな枝ごと室内に持ち込み飾っては楽しんでいます。この植物によく似たものにガマズミがあります。しかし花の時期が一月ほどおくれますので、それが見分けの一つになるでしょう。 ヤマザクラは花と一緒に赤味を帯びた葉がでるのが特徴です。県内の野生のサクラはこのヤマザクラと伊佐・姶良北部で見られるエドヒガンの2種類のみです。牧園町の高千穂では4月の終わりにこのサクラが咲いています。花の時期が1月も遅いので別の種ではないかと思われますが、まぎれもなくヤマザクラだそうです。びっくりします。この近辺でのヤマザクラの名所は市来の重信川左岸の照葉樹林だと思っています。その奥がソメイヨシノの名所の観音池です。春先の照葉樹の緑をヤマザクラの白い花で美しく彩っています。サクラは日が当たらなくなると枯れてしまいますから、周囲の木におぼれてしまわないように精一杯伸びようとしているサクラの健気な姿に心をうたれます。 ハクサンボクのあとに道路端のそで群落を彩るのはマルバウツギの白い花です。これもごくありふれた顔なじみです。これによく似た花がウツギ(ウノハナ)ですが、こちらは花の時期が6月ごろで、マルバウツギよりも大型で華やかです。 バラの原種を思わせる花にノイバラがあります。ツル植物であるこの植物は木にからまったり、土手から垂れ下がったりしたツルに純白の小さな花をいっぱいつけ楽しませてくれます。姶良郡の北部に行けば、ほんのり紅のさしたツクシサクラバラが見られます。またもう少し時期がずれてテリハノイバラというノイバラによく似た植物も咲き始めます。 近頃、史跡めぐりやバードウォッチングなどの学習はよくなされていますが、自然観察、なかでも野生植物の学習の機会は少なく、大変寂しく思っています。野にあっても美しいものは鑑賞の対象となり、運が悪いと乱掘され絶滅に瀕するという事態も進行しています。じっとしていて動かない植物は、なかなか興味を持ってもらえないようですが、私たちは郷土の植物についてもっとよく勉強し、後世にそのままそっくり受け渡せたらと思っています。(触れられなかった木の花 ヤマフジ、ヤマツツジ、カナメモチ、キリ、コガクウツギ、センダン)
|
||
目次へ |
平成20年6月8日発行・第313号 | ||
水 を 引 く 5年生の社会科では、「私たちの生活と食料生産」という単元で山形県の庄内平野をとりあげ、「米作り」の学習をします。教科書には用水路について次のように記述してあります。 今から400年ほど前(庄内平野の場合)から、人々は川の流れを変えたり用水路を掘るなどして水田を開発してきました。しかし広い平野全体に必要なだけの水を送り続けるためには、大変な苦労と工夫が必要でした。(新編新しい社会 5上 東京書籍) 上市来でも田植えの季節が到来し、用水路の整備がなされて水が流れはじめ、田んぼが急に活気づいてきました。この用水路についての鮮烈な記憶がいくつかあります。 一つは筑後川から取水した福岡県の堀川用水に回っている朝倉の二連水車、三連水車です。用水路から田んぼに水を汲み上げるための水車で、用水路のあちこちに設置されています。知人に誘われて見学に行き、その知恵に感動しました。かなりの歴史があるものと思いますが、今も現役で動いています。圧巻はその堀川用水の取水口になっている山田堰です。畳一畳もある大石を、川幅いっぱいに敷き詰め積み上げた総石張りの斜堰で、川に対して直角に築かず、斜めに三角状に築いたゆるやかな堰です。江戸時代に作られ現在なお当時の姿そのままにあります。 もう一つは熊本県の旧矢部町の谷にかかる通潤橋です。学生時代に地理学の講義でその存在を知りました。後日その橋を訪ねる機会があったのですが、聞きしに勝る壮大な建造物でした。このアーチ式の石橋の中を、台地を潤す水が流れていることをこの目で確かめ、その知恵と技術に驚嘆しました。 旧吉田町には小野田用水という遠大な用水路が走っています。西佐多浦の思川で取水した水は、町内の田んぼを潤しながら町中を通り抜け、トンネルをくぐって姶良町の田んぼまで達しています。今はコンクリートの蓋をされて、人目にはなかなかつきませんが。 稲作が中心の我が国の農業では、農業用水確保のための用水路は言わば農家の命綱みたいなもので、用水路と直結している井堰についても同じことが言えます。上述の用水路・井堰は、技術と規模の大きさが特に優れているために、世間の注目を集めるところとなっていますが、上市来を流れる用水路とそれにつながる井堰とて、果たして来た役目に遜色はありません。ともすると史跡や遺跡には注目し意義を認めていますが、今も現役で働いている井堰や用水路については 十分に評価していないのではないでしょうか。用水路と井堰には先人の願いと知恵と汗がこめられており、気の遠くなるような歴史も秘めています。 用水路にはいくつもの思い出があります。満々と水をたたえて流れる用水路にはたくさんの魚影を見ました。そこで魚取りにも興じました。水遊びや洗濯の風景もありました。学校帰り背をかがめて水の中をのぞいていたら、どういうわけだったのか逆さまに用水路に転落し、ずぶ濡れになった苦い記憶もよみがえります。川が増水した日、用水路から田んぼに入り込んだフナをつかまえることに興じていた仲間もいました。秋、水をとめられた用水路に、魚が逃げ場を失い白い腹を見せていたこともありました。このように一昔前までは、用水路も私たちの生活に身近な存在でした。今、蛍の名所になっている蒲生の用水路もありますが、極めて稀なケースで、多くはコンクリート蓋をされかくれてしまいました。 尾木場には水を確保する川がないために、ため池をいくつもつくって稲作をしていますし、伊作田用水には川の上を渡っている用水路もあります。その橋をての橋(樋の橋)と読んでいます。財部にはサイホンの原理を利用した用水路もあります。米作りへの先人の強い思いを感じます。 これらは農耕文化そのものです。ですから、上市来にある用水路と井堰をしっかり学習し、用水路と井堰について知ることは大切です。 用水路について学習しているはずの子どもたちですが、ある時「先生、用水路って何」と聞き返され、唖然としたことがありました。用水路がわたしたちの生活から少し遠のいた今、ご家庭でも用水路や井堰について話題にしたり、用水路巡りをしたりしてみてください。
|
||
目次へ |
平成20年7月8日発行・第314号 | ||
つなぐ・伝える 今年はキキョウの花がたくさん咲きました。紫がキキョウの普通の花の色ですが、まれに淡い紫や白も出現します。花は長持ちはしませんが、次々に花を咲かせることで、かなりの期間、花を楽しむことができます。咲き終えた花は白っぽく変色してしぼみ、このあと子房が膨らみ種子がつくられます。このキキョウの種子は翌年播くとよく発芽し、どんどん増やすことができます。親株も地上部は枯れても、翌年はさらに充実した株となってたくさんの花を咲かせます。自然のままにまかせると草丈が高くなりすぎ風や雨に弱いので、新芽が15cmほどに伸びたら摘芯をします。そうすることによってたくさんの脇芽を出させ、さらにたくさんの花を楽しむことができます。 20年ほど前、栗野町(現湧水町)の学校に赴任したころ、町内を案内したイラストマップにキキョウの自生地が書き込まれていました。私はそのことに驚きを覚え、栗野・吉松の草原をキキョウ探して歩き回りましたが、ついに1株も見つけることができませんでした。同じ頃県立博物館の学芸主事が町内で一株だけ見つけたことを聞きました。確かにごく普通の野草としてこのあたりの野原にあったのでしょう。その証拠に校区内の民家の庭先にキキョウの大きな株をよく見たものです。当時はこの植物の生態にほとんど無知であったことも影響して見過ごしもあったと思います。 キキョウは昔から秋の七草として親しまれています。キキョウは日当たりのよい草原が住みかです。生活様式の変化に伴い周りの風景がすっかり変わり、草原が失われ、森林になってしまいました。光が当たらないとキキョウは生育できません。またその美しさゆえ、乱獲されたというのもあると思います。このようにしてキキョウは郷土の自然から姿を消していったものと思われます。 花の時期ですが植物図鑑には7~8月と書いてあります。しかし鹿児島では6月の半ばから咲きます。とても秋の植物とは思えませんが、東京を中心に考えるとそうなるのかもしれません。 キキョウを秋に咲かせる方法があります。前年からの株の場合、6月から7月の花の時期が終わったら、種子を残さないように思い切って切戻しをすることです。残したはずの子孫(種子)をすべて奪われた親株はびっくりして、再度子孫を残す活動を始めるのです。こうしてもう一度花を咲かせ、子孫を残すために頑張るのです。こういう姿についてよく考えてみると、植物の一生というものは、つなぎ・伝えるためにあるように思えてくるのです。次代に命をつなぎ、同じ姿を伝える。このことこそ生命体の重要な役割に思えてくるのです。 教育も本来、子ども一人一人の人生のためにあると同時に、私たちが次の世代に伝えなくてはならないことを、受け渡す場であったはずだと指摘された方がありました。輝かしい進歩に目がくらんだ私たちは、教育が「伝える場」、「手渡す」場でもあることを忘れ、子どもたち自身がより幸せな人生を獲得することばかりを願うようになってしまいました。「なんのために勉強しなくてはいけないかのか。」という子どもたちの問いに、多くの大人は「誰のためでもない、おまえ自身のためだ。」と答えるでしょう。子どもたちにしてみれば「自分のためなんだったら、いやなことはやめておこう。」と考えたくもなるというものです。でも誰もが何かを「受け継ぐこと」、そしていつかはそれを「手渡す」ことがわたしたちの社会にとってどれほど大切であるか実感できれば、今学ぶことに無意味を感じている子どもたちも少しは意欲を取り戻してくれるのではないでしょうか。(この段 「読む力は生きる力」から引用) 新しい指導要領では小学校の国語の学習内容に、ことわざ、故事成句、伝説、古文・漢文など古典に関する指導を充実することが加えられています。これはいうまでも大切なことを後世に受け継ぐ活動にほかなりません。日本を再生するためには、古典に立ち返り、日本の伝統を体得することが実は、一番の早道だという意味をも含んでいるのではないでしょうか。
|
||
目次へ |
平成20年8月5日発行・第315号 | ||
家庭を築く ホテル家族という言葉が流布してもうかなりの時が経過しました。一緒に生活しているはずの家族が、それぞれ自分の考えだけで動き、食事だけは家で食べるとしても同じ時間に食卓を囲むことがない。たとえ一緒に食べる時があったにせよ、食べるものは家族ばらばら。そこでとどまるならまだしも、食事さえも外ですませ、結局家族一緒に過ごすのは寝る時間だけ。これが宿泊がその主機能たるホテルになぞらえてホテル家族と呼ぶ所以です。 古来、学生時代の寮生活など、同じ屋根の下で過ごした仲というものは特別な関係を意味し、特に強い絆で結ばれた人間関係をさすものでした。家族とはこれを運命づけられた集団であり、当然ながら堅い絆でむすばれた好ましい集団のはずでした。近年学校教育もこの価値を認め宿泊学習なるものを計画実施しています。ところが家族が寝静まってから、あるいは家族の知らぬ間の就寝時間帯にこっそり家を抜け出し、深夜に事故を起こしている事例をたくさん見聞きし、心をいためています。この家庭はどうなっているのだろうかと。 昼間、外で活動してきた家族は、団欒の場として夜は家族一緒に過ごすべきものだと思います。昼間仕事に出て子どもに接する時間がとれないとすれば、夜こそは子どもにしっかりと寄り添ってやりたい。子どもにたっぷりと声かけし、子どもの話にもしっかり耳を傾け、真剣に対応してほしいと願っています。否、昼間子供と接する時間がないならば、せめて夜だけはしっかりと家庭にいて、子どもと接すべきです。なぜならば、家庭の目標は「子どもをしっかり育てること」に他ならないからです。 私たちの生活は、普通子どもの学校生活でも大人の職場でも、8時すぎには始動します。今日もいい仕事をしたい、今日も学校でしっかり勉強したいと思えば、家族の起床時刻は、重要な意味を持ちます。建築現場を任された私の知人は、みんなにしっかり仕事をしてもらうには、朝の段取りが大切で、だから朝は早く職場に向かって仕込みをすると語っていました。その話を聞いて大いに感動した記憶はいつまでも失われません。要するに家庭は早起きが基本だということです。早起きをして家族そろって食事をすることです。その食事はみな同じものを食べるべきものとこころえます。みんなで食事をしながら、その日のそれぞれの計画を語りましょう。だれか一人だけ出かけるのが早いとしても、その人に合わせて家族一緒の朝ごはんにしてほしいものです。 我が家では県外で生活している娘二人が帰省した折には、私たち二人の生活に合わせた生活をもとめます。朝も朝食作りから協力してもらい、一緒に朝食を食べますし、夕食も夕食作りから手伝わせ、一緒に食べます。これが我が家のしきたりです。食事の時はテレビは消します。一緒におしゃべりをしながら食べます。これは新しい家庭を始めたときからの我が家の基本的なルールです。口数の少ない私は、食べることをもっぱらとし、誰よりも早く食事が終わるのですが、そうするときまって「よくかんで食べて。」といわれます。よくかんで食べることは私たちの体にとってとても大事な役目を果たすことがわかっていても、なかなかなおせないでいます 朝・夕の食事は、私の毎日の一番の楽しみです。家族そろってといっても、いつもは二人だけの食卓ですが、食事がおいしく食べられたときの心の充足感は何ものにも変えがたいものです。病気の治療で、健康体なら素晴らしいご馳走であるはずの毎度の食事がまったく食べられなかったり、塩辛さ以外のすべての味覚を一時期失ったりした経験が、ことさら食事をおいしく食べられたときの至福を増幅してくれるのかもしれません。 「 同じ釜の飯を食べた仲」とは一緒に生活をして苦楽を分かち合った親しい人間関係をさす言葉。家族なら当たり前のこのことが、必ずしもこれが真実でなくなったことを大いに反省し、人もうらやむよい家庭作りに心がけてみませんか。 書き忘れましたが、家庭にはリーダーが必要です。家族がばらばらに動かないために。早起きの家庭を築くためには、早く休む家庭作りも大事なことは言うまでもありません。
|
||
目次へ |
平成20年9月5日発行・第316号 | ||
正しくきれいな文字を書くために |
||
目次へ |
平成20年10月5日発行・第317号 | ||
彼岸花余話 うすづける 彼岸秋陽に狐花 赤々染まれり ここはどこの道 (作者不詳) どちらも彼岸花を詠んだ短歌で、狐花、曼珠沙華はいずれも彼岸花の異名です。「うすづく」とは夕日が山の端にかかっている状態をさします。 |
||
目次へ |
平成20年11月5日発行・第318号 | |||||
47都道府県は「社会科の九九」 校
長 前 野 孝 志 教職に就いて以来、県内10箇所に居住してきました。どの土地でも住み始めた当初は見る物聞く物みな新鮮で、そんな生活を楽しんできました。 あわただしい引っ越し作業のさなかに、私が必ず買い求めたものがあります。それは新任地が書き込まれている国土地理院発行の25000分の1の「地形図」です。校区を流れている川や校区にそびえる山、集落名、大字名、道路事情、標高など、赴任する前に頭に入れておくわけです。そこに住み始めてからも、三角点などを読み取っては、現地に確認しに出かけたりします。前任校ではそうして確認した三角点を、遠足の折に子どもたちに探させたことがありました。 旧牧園町勤務の頃は、野外活動が仕事の中心をなしていたために、この地形図をよく活用しました。25000分の1の地形図を何枚も貼り合わせて、飽きもせずよく眺めました。霧島連山の地形図を眺めていると、どの山が先にできて、後からどの山が噴火してできたということまで読み取れます。たとえば韓国岳より後に大浪の池ができたということが読み取れるのです。本当にこの地形図はすごい情報を秘蔵しています。 3年生になると子どもたちに地図帳が配布されます。他の教科書のように順を追って使用されるものではありませんので、あまり使われることもないままに過ぎてしまうこともあるのではないでしょうか。しかし地図帳は「毎日持ってくるものの一つ」としたいところです。それはどの教科であれ、日本国内はもちろんのこと、諸外国でも、地図で大まかな位置を確認した方がよいことが、しばしば出てくるからです。 算数では2年生で九九を一生懸命に繰り返し学習し、定着すればその後の算数・数学にもよい結果を生みます。それと同じように、47都道府県の名前と位置は「社会科の九九」のようなものととらえたいものです。4年生以上を担任したときは、時間をかけて最低47都道府県の名前と、隣接する都道府県の位置関係を頭の中に入れてしまうように指導してもらいたいし、子どもたちは必ずこれをマスターしてもらいたいと考えています。これさえ頭に入れば社会科での学習はもちろんのこと、国内のニュース、身近に見聞きする都道府県に対して、大まかな場所のイメージができるのです。 卒業生の中には4年生で都道府県を覚えることがきっかけで社会科が好きになり、中学校でも一番好きな教科で、今でもそれが続いているといったうれしい知らせをしてくれる子もいます。少々オーバーに言えば、日本で生活する限りにおいては、一生役に立つ大切な知識であるといっても言い過ぎではありません。 新しくできた学習指導要領では、3・4年生の社会科の学習内容として、「47都道府県の名称と位置」が明記されています。そして学校では今5年生が、47都道府県の名称と位置をマスターすることに取り組んでいます。もうかなりすすんでいるようですが、是非全員そろって、頭に入れることができるようにがんばってほしいと思います。そしてこれを達成した暁には県庁所在地名を、次には近隣の国名をと、夢が広がっているようです。 私は、ものごとを記憶するのに、県名や地名と結びつけるという方法もとっています。大変有効な方法だと思っています。それというのも地図をながめるのが好きで、使える地名がたくさんあるからだと思っています。 「旅に出たくなる地図 日本」「地図で訪ねる歴史の舞台 日本」(2冊とも帝国書院)もよく活用している地図です。 ■ 鹿児島県広報テレビ番組の紹介 ■ 御協力,ありがとうございました。 ■ 見聞を広める(10月1日水曜日, 2日木曜日) ■ 力を合わせることの大切さを実感(10月7日火曜日~9日木曜日) ■ よい本に,何十冊出会ったかな? ■ 新しいことを習う喜びを(11月5日水曜日)
■ お茶うがい用に大切に使わせてもらいます |
|||||
目次へ |
平成20年12月5日発行・第319号 | ||||||||||||
ふるさとの山 ふるさとの川 校
長 前 野 孝 志 生家の前に、金峰山がそびえていました。南向きの家の縁側に立てば、いつでも山が仰げました。金峰山の東側山麓には、標高220mの台地に大坂(だいざか)校区があります。その北側の谷に、下流で万之瀬川と合流する堀川が流れ、その右岸(北側)の台地にある生家から真南に、金峰山は見えました。 天気はいつも西側から崩れてきました。高倉山の斜面を雨雲が東に動いたかと見ると、その雲はまもなく金峰山にかかり、雨になりました。 名も吹上の真砂(まさご)の丘に 松吹く風は平和を呼ばい 金峰(きんぶ)の山は大空高く そびえてわれらの希望をそそる 慣れ親しんだ小学校の校歌です。 秋には、学校の伝統行事で金峰山に登り、帰りには大坂の伝統行事である大坂相撲を見ました。新年にも金峰山神社へのお参りに登山しました。今でこそ山頂付近まで車で行けますが、当時は道に迷うほど心細い山道でした。 校歌には、堀川が歌い込まれていなかったので、2級河川のこの川の名を知ったのは大人になってからでした。それでもこの川で魚釣りをしましたし、水遊びもしました。豊かな実りをもたらす和田と田布施の水田とを潤してきたのはこの川です。 11月15日、校区公民館の主催で、元養母集落内の神社・田の神・井堰・ハウス園芸農家を巡る催しがあり、他に重なる行事がなかったので参加しました。地元の小学生が3名参加して、目標をたどる道々、集落内の小学生の家を紹介してくれました。よく知っているな、詳しいなと少しうれしい気持ちになりました。 その前日には、田代地区の催しで重平山登山があました。集落内放送もありましたので校区みなさんがご存じだったと思います。私は行事が重なり、残念ながらこの山の初登頂を果たせませんでした。主催者に伺ってみると、行事が重なって参加者が少なかったと言うことでした。次の日、全校朝会で登山者を確認したところだだの3人だけでした。ある種の不安が胸をよぎりました。その後も子どもたちと話をしてみて私は愕然としました。下級生はおろか上級生までも重平山を知らないし、登ったことがないと言うではありませんか。「仰ぐ重平、大峰(うね)ヶ原」と校歌でうたっているのは何だったのかと全く寂しくなりました。確かに小学校からは重平山は仰げません。 校区の背後にそびえる山ですので、南向きの住まいからは毎日眺めて過ごすというのは無理でしょう。この山が本当によく見えるのは妙円寺小学校の校舎裏からです。なるほどいい山だと思います。中学校の校歌に歌われている中岳に至っては、その認知度はおして知るべしです。 しかし、校歌で歌いつがれている以上、知らないではすまされないと言うのが正直な気持ちです。市町村合併により、この山が日置市で一番高い山となりました。やはり心のよりどころとして大事にしてほしいと思います。 本校では、春の遠足では校区内を探索し、お別れ遠足では高山小学校まで往復し、5年生の宿泊学習では、郷戸、尾木場も活動の場所にしています。郷土学習には十分配慮してあるつもりでいます。そんなわけで校区内を流れる3つ河川にも十分親しませているわけですが、川の名前はというと、答えが返ってきません。川の名前は一般的に河口の地名を取って命名されています。大里川、江口川、八房川、いずれも河口の地名が川の名前になっています。この3つの川の名前も是非頭に入れておいてほしいと願っています。
重平山の山頂からの眺めですが、樹木が生い茂っていてよくないようです。国有林のために簡単に伐採することができないようですが、登山の醍醐味はなんと言っても頂上からの眺望にあります。そういう意味からも山頂の整備が望まれます。この重平山登山は、校区公民館の年中行事として定着させ、校区民なら誰でも登ったことがあるという山にしてほしいです。 郷里を離れて40数年。私にとって金峰山は今でも心の中の原風景です。 金峰山の読み方ですが、「きんぶざん」が正しい読み方です。小・中学校の校歌の中でもきんぶざんで、方言ではありません。「きんぽうざん」とよぶようになったのは昭和30年代の町村合併で金峰(きんぽう)町ができてからだと思っています。ちなみに奈良県吉野の金峰山は「きんぶせん」と読ませています。高野山金剛峯寺は(こんごうぶじ)と読んでいます。 ■ 鹿児島県広報テレビ番組の紹介 ○ 番組名:MBC南日本放送 ふるさとかご しま「かごしまの教育」県民週間
■ 上市来の感想は?(11月11日火曜日) ■ 心洗われる時間をありがとうございます。(11月9日日曜日)
■ 大切に使わせていただきます。 |
||||||||||||
目次へ |
平成21年1月5日発行・第320号 | ||||||||||||
似て非なるもの
校
長 前 野 孝 志 セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロ、これぞ七草 新年の松の内がまだ明けない7日、七草の行事がとりおこなわれます。春の七草を入れて七草粥を作って食べるならわしです。七草粥のことを私の郷里では「七とこい(所)のずし(雑炊)」とよび、数え年の7歳になった子どもが、親戚・近所の7軒をもらって回るならわしがありました。このお祝いを迎えたことで、子どもたちはいよいよ自分も小学校入学が近いことを自覚していたように思います。いやむしろ親たちの方にこそ、そういう思いが強かったのかもしれません。まだ世の中が貧しかった昭和20年代の末、七草粥をもらって回った記憶がよみがえります。両親の懸命な働きのおかげで毎日の食事に窮したこともなく、お正月やこのような年中行事は子ども心にも格別のもので、大いに楽しみにしていたように思います。 七草粥に、春の七草のうちの何を食材として使っていたか、はっきり覚えていません。でもセリのことだけははっきり覚えています。セリの生える場所をよく知っていて、前日には、家の下の沢に下りて、セリ採りをしていました。折りしも小寒(しょうかん)のころで、数は少ないけれどしっかりセリが生育していて、ホテイチクや丈の高い枯れススキが生い茂った水辺の藪では、日光がさえぎられ軟弱なよいセリが採れました。もう少し季節が進むと収穫できる量も増え、セリの白和えを作って、山菜の香りを楽しむことができるようになります。 ところで春の七草のスズナ、スズシロのことですが、スズナはカブラ(蕪)、スズシロはダイコンの古名とあります。 このカブとダイコン、非常によく似ています。私の育った環境で冬野菜といえば白菜、甘藍(キャベツ)と大根が中心で、カブを栽培していた記憶はありませんし、食べた記憶もありません。唯一の記憶といえば、童話の「大きなカブ」でその存在を知っていた程度のものでした。ですから、サクラジマダイコンみたいなものという程度の認識しかありませんでした。しかし実際に栽培してみると、違いは歴然としています。まず葉の形からして違います。包丁を入れてみても、肉質に違いがありますし、食感にも違いがあります。 もともとアブラナ科の植物で、似ていることに違いはないのですが、系統的に言うとカブはアブラナ(ナタネ)の変種で、ナタネのようにサヤが割れて種がこぼれますが、ダイコンのサヤは割れません。ここがはっきり違います。ダイコンの花は白または紫ですが、カブの花は黄色で、ここもちがいます。 最近は、スーパーの店頭でもよくカブを見かけるようになりました。生活の中にとけこんでいないと、なかなか違いが分かりにくいものですが、自分で栽培して、食材として使い始めると、その違いがはっきりと分かるようになります。ダイコンで用が足りることがほとんどでしょうが、ダイコンとは違う食感が、その存在を主張しているように思います。 上市来の子どもたちは、兄弟に恵まれています。6人兄弟、5人兄弟、4人兄弟、3人兄弟の家庭が他の校区に比べると断然多いと感じます。多人数の兄弟の中で、もまれ、育て、育てられ、素直に育っていると感じています。育った環境が同じですから、兄弟はある面似ているところもあるにはあるのですが、よく見ると、同じではありません。親は同じように育てても、期待したほどには似たように育ちません。それは、生まれた順番が違うからでしょうか。長子には兄ちゃん・姉ちゃんであることを期待しますし、二番目には生まれたときから、年上の手ごわい競争相手が存在します。末子には弟・妹であることを期待し、対応が甘くなるというのが人情でしょう。この格付けの持つ意味は小さくありません。同じように習い事をさせても、下は上のやり方を五感で感じ取り、既によい素地が出来上がっているということもあります。 家庭の目標は子どもをしっかり育てるというところにありますが、似ていてもそれぞれ立場が違いますし、生まれつきの違いもあります。同じように一生懸命育てる気持ちは大事ですが、うまくいかなくなったとき、違った方法をとるなどの心のゆとりはとても大事です。 ■ 人口減少の時代へ ■ 待ち遠しい春。(12月3日水曜日)
■ 声掛けをお願いします。 ■ 今年もよろしくお願いいたします。 |
目次へ |
平成21年2月13日発行・第321号 | ||||||||||||
命を守る食と農 40数年前、学生街には気軽に出入りできる飲食店が身近にありました。一品料理のメニューは当然として、そこには定食というメニューがありました。それまでは全く気づきもしなかったのに、この街で一人で生活をしていくのには避けて通れないメニューでした。あの頃覚えた定食という言葉に、和食のすばらしさをしみじみと思うのです。 ご飯とみそ汁と主菜、副菜。これが毎日の私たちの食事の型ですが、今の朝食定食をみるとさらに品数が多くなり、量的にはわずかにすぎないのに味付けのり、半熟卵、漬け物などがついてきます。このような食事が続いていたなら、我々の食事が今ほど問題にはならなかったはずです。この国の伝統的な毎日の食事は、このように品数が多くたくさんの食材が使われていました。一度の食事で多くの食材を食べることは、人間の健康や、脳や心の働きにとってきわめて大事なことで、すでに科学的に証明済みのことです。 日本人が米を食べなくなっています。一番身近でできる穀物です。それを食べないで遠い国からしか調達できない主食が好まれています。米はたくさん余っているのにです。 日本人がご飯を食べない。ご飯を食べないから梅干しを食べない。梅干しほどご飯にあう食品があるでしょうか。漬け物もたべない。日本の食文化はこうして崩壊しつつあります。梅干しは素晴らしい保存食品であり、日本人がつくりだした素晴らしい食品だと認識しています。 財力にまかせて、食料を外国に頼った結果どういう結果になったか、枚挙にいとまがありません。そのために健康を害しているのです。 労をいとってはいけません。スーパーの惣菜が便利だからといって毎日それに頼っていると、好ましい食生活ばかりか、家庭そのものを崩壊させてしまうのです。家族がそれぞれ好きなものを食べ、好きな時に食べるという姿には、家庭の持つ暖かさ、団結など全く見えてきません。昨年本校に来校しご講演くださった千葉しのぶ先生は、食事を作るのが大変だと、子どもの前で決して言わないでほしいと、強く言われました。毎日の生活の中で何が楽しみかというと、三度の食事がいつもおいしいこと。それを楽しみにしているのです。学校の生活の中で何が一番好きですかと問われた子どもが、給食時間と答えるのを笑えますか。給食がおいしいからだし、よく勉強するからだし、なにより健康な証拠です。食事は家族みんなが楽しみにしているのです。決して作るのが大変だと言わないで、手伝わせて一緒に作りましょう。 農村にすんでいると、毎日の食事の材料となる野菜を作るほどの土地はあるでしょう。住宅の庭先でできる採り立ての野菜を使って作る食事ほど、新鮮なものはありません。庭先でいつも目は届くし、手入れもしやすいし、安全なのです。今一番問われているのは食の安全ということす。 野菜のもとはといえば、野草でした。私たちは、今でも野草を食べています。ツワブキ、ミツバ、セリ、ヨモギ。春先の軟らかい野草は独特の香りとくせがあって、おいしいものです。そういったものが栽培されるようになり、品種改良をなされて、今の野菜があります。その野菜も半世紀前の野菜とはちがいます。食べやすい、くせのないものに成り下がっています。昔のにんじんはくせが強くて、子どもたちはきらいでした。ピーマンが普及し始めた頃は、辛くてなかなか好きになれませんでした。今では、漬けたてのタカナの辛みも消えてしまいました。野菜は、あまりにもそのくせを失うと、存在価値が薄れます。私たちは野菜の色もですが、そのくせを楽しんでいる向きがあります。庭先でとれた野菜には、新鮮さとともに野菜のくせが店先のものより多く残されています。庭先の野菜を大事にしましょう。腐葉土をたっぷりすき込み、ミネラルをたっぷり含んだ土で育てましょう。そうした野菜は、丈夫です。 買ったものが、あるいは売っているものが、よい品物とは限りません。今庭先に生きている野菜こそ、極上の野菜です。あとは調理の腕次第です。季節を感じさせ、心豊かな気持ちにさせてくれるものは、私たちの足下にあふれているのです。今大事なのは、そんなふうに思うことができる私たち自身の心ではないでしょうか。 まだありました。お箸の持ち方がすっかり下手になりました。ナイフやフォークの持ち方がおかしいのは、恥ではありません。でもお箸の持ち方がおかしいのは、恥と考えたいです。なぜなら、私たちは日本人のはずですから。そこのところをまちがえるといけません。もう四半世紀前から、子どもたちのお箸の持ち方がおかしいと気づいていました。正しいお箸の持ち方も、日本の食文化のうちです。お箸の持ち方は、きわめてよく考えられていて、米1粒でも挟めるようになっています。今一度お箸の持ち方を点検してみましょう。 ■ 雑巾を下の皆様から寄贈していただきました。丁度,校内の雑巾が不足している時期で大変助かりました。水の冷たい時期ではありますが,御厚意に応えるべく清掃作業を教児で頑張ります。ありがとうございました。
■ 児童生徒の登下校時の安全確保 |
目次へ |
平成21年3月13日発行・第322号 | |||||||||||||||||||
創立記念駅伝競走大会を振り返って
校
長 前 野 孝 志 上市来小学校創立記念行事として毎年開催している駅伝大会が、今年も無事終了しました。 この記念行事には雨天順延がなく、雨天の場合は中止となっています。卒業を間近に控えた6年生は是非ともこの大会をやりたいようで、それだけに雨の予報がでていても簡単に取りやめるわけにはいかない事情があります。昨年も雨がつきまとい、直前まで大いに迷いました。今年は昨年ほどのことはありませんでしたが、予報通りに天気が回復せずに、気苦労が絶えませんでした。しかし天の恵みか少々寒くはありましたが、寒風の中を子どもたちは元気に走り抜き、134回目の創立記念日に花を添えました。 この大会、以前は校区一周というタイトルもついていましたが、平成18年秋に樋ノ口橋入り口から、五反田橋まで県道の改修工事が始まったのを機に、現在のコースに移しました。小字(こあざ)でいうと、荻八枝、荻新田、鹿尾を周回するコースです。当初は18年限定で、また元のコースに戻す考えでしたが、道路改修工事が中断して、従来のコースに戻せなかったことと、新しいコースが意外に評判がよかったことで、今後もこのコースでやりたいと考えています。 このコースのよさを具体的にあげると次のようなことになります。 ① 何よりも安全なコースです。競技中には、車の乗り入れを遠慮してもらうことができます。 ② 周回コースのため何度も応援できます。今回はこのコースを4周する競走でしたので、同じ場所で最大8回応援ができました。ランナーが通過するたびに順位が入れ替わっているおもしろさもあります。 ③ 学校行事ですので、できるだけ学校職員だけで対応できる範囲に収めたいと考え ています。コース途中の監視員を、応援に来られる予定の保護者に依頼はしましたが、これは走者の安全を考えた場合、やむを得ないことだと思います。
④ このコースの西半分からは上市来小学校がよく見えます。重平山も西端から望めます。実によい風景です。学校全体を違った角度から眺めるよい機会にもなります。 学校の創立記念日は2月27日です。3月に入ると田んぼに続く南西側の畑に、ピンク色の広がりが出現します。北山集落の北山さんが栽培されているハナモモ園です。かなり広い面積ですので、学校下の県道からも見ることができます。少し時期を遅らせてこのハナモモを眺めながら走る、ハナモモ駅伝というのもおもしろいなと思います。今年は是非このモモの花を観賞してください。
さて学校創立のことに話をすすめます。明治9年(1876年)のこの日にスタートしています。明治9年の次の年、明治10年には西郷郡と新政府軍が戦った西南戦争がおきています。西南戦争の激戦地熊本の田原坂には、毎年6年生が修学旅行で訪れます。 この激戦地が整備されて現在では公園になっており、最近ここに大きな戦没者の碑が設置されました。戦没者の名を詳しくたどっていくと、日置郡出身の人の名もいくつか見つけることができます。なぜこのような話になったかというと、学校の沿革史(楠生恭二著)の中に明治10年、この学校の先生4名がこの戦争に従軍し、学校は授業を中止したと書かれているからです。6年生は修学旅行で田原坂を見学しますので、是非このことを覚えておいて、創立当時の困難を思い出してほしいと願っています。 ともあれ余寒きびしいこの時期に、欠場者を最小限にくいとめることができ、元気いっぱいの走りを見せてくれた子どもたちに大きな拍手を送りたいと思います。走ることはあらゆるスポーツの基本です。車社会にひたり、歩くことが少なくなった今こそ、走ることの価値を改めて見直し、頑強な体づくりにつとめてほしいと願ってやみません。
|
目次へ |