日置市立花田小学校

地域や伝統の紹介

校区俯瞰

吹上浜(左上),亀原池・正円池(左下)
国道270号線・花田子(中央)

花熟里の伊勢神社

由緒不詳。華熟里の総鎮守である。当地には西行法師が諸国行脚の途次、腰をおろしたという西行石がある。御祭神:天照皇大神(アマテラススメオオカミ)

吹上浜~ウミガメを放流~

学校の孵化場で孵化したウミガメの赤ちゃんを放流します。

伊作太鼓踊り

鹿児島県日置市吹上町に約600年前(1406年)から伝わる、県指定の無形民俗文化財です。毎年8月28日に南方神社で奉納される、白装束に軍配型の矢旗を背負った男たちが太鼓を勇壮に打ち鳴らす、戦勝祝いに由来する伝統芸能です。

妙音十二楽

薩摩盲僧の間に伝承されてきた宗教音楽で、建久7年(1196)、伊作(現在の日置市吹上町南部)に常楽院を開いた宝山検校が伝えたとされています。昭和46年5月31日に鹿児島県指定無形文化財になっています。

もちひっぱれ

吹上地域の小野自治会に伝わる五穀豊穣を祈る伝統行事。もちの両端をくわえて引き合い、長さを競います。

中田尻の田の神さぁ

日置市には、18世紀頃に造られた歴史ある「田の神さぁ(たのかんさぁ)」の石像が点在し、地域住民によって大切に守られています。中田尻の田の神さぁは、享保2年(1717年)建立の白っぽい石像。風化が進んでいる。

吹上町中田尻の田の神さぁ

小野地区には、道路脇に複数の「田の神さぁ(タノカンサア)」が祀られています。メシゲ(しゃもじ)と椀を持って立っている姿が特徴です。この周辺の田の神は江戸時代に郷士たちによって建立されたものが多く、豊作を願って田を見渡す位置に設置されています。

島津日新公忠良

鎌倉時代後期,伊作島津氏 初代久長が築いた山城「亀丸城」が花田小の東方1kmにある。 亀丸城は,その後10代忠良が加世田に移るまでの250年間の伊作島津氏の居城であった。 いろは歌を作った日新公忠良は,伊作城が生誕地であり,花田小の校歌にも歌われている

西行法師

西行法師は,鳥羽上皇に仕えていたが,世の無常を感じ,23歳で西行と名乗って,出家し,諸国行脚の旅についた歌聖である。
何ごとのおはしますはかは知らねども  かたじけなさに涙こぼるる
三国名勝図会に,西行坂は,花熟里村あり,と書かれている。
昔,西行が坂にて休めるとき,童子が鎌を持ち通りかかる。西行が「小童子,何処へ行くのか。」と問いかけると,『冬草の夏立ち枯れを刈りに参る。』と答えた。西行は何のことか分からず休んでいたところ,先ほどの童子が刈り取った麦を背負って帰ってきた。 西行は,都を離れたこのような土地にも風雅な言葉を遣う童子がいるものか,この先どのような恥をかくかもしれない。先ずはここまでと引き返したということである。 花田小学校の校歌にも,「西行法師もその昔 行脚の杖を休めたる」という歌詞がある。