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主体的に学びに向かい,心豊かに,たくましく強く生き抜く湯田の子どもを育てる

TEL.099-274-2043

〒899-2201 鹿児島県日置市東市来町湯田4042番地3

地域紹介program

校区概要

一日の生活イメージ

 日置市(旧東市来町)の西部に位置し,温泉地湯之元を中心に開けた湯田地区,皆田地区が本校の校区である。JR鹿児島本線,国道3号線,南九州西回り自動車道と交通の便に恵まれ,児童数も若干ではあるが増加傾向にある。
 「湯之元温泉」は,様々な泉質を持つ温泉(44の泉源)を有しており,昔からの湯治場として有名である。
 また校区内にある稲荷神社は,国の天然記念物「ヤッコソウ」の自生地としても知られている。
 交通の便によく,電車やバス等で鹿児島市へは,30分から40分で行ける距離にある。いちき串木野市へは15分,薩摩川内市へは30分程度である。


校区の自然・文化財

稲荷神社
稲荷神社は島津家初代忠久公の母君丹後局によって,承久3年(1221)湯田の宮崎(原石油スタンド付近)に創建された。天和3年(1683)湯田の新田開発に際し,稲荷神社は,天和3年に,別当寺の大明寺は貞享元年(1684)に現在の向湯田に遷された。宮崎の跡地には石の鳥居柱一本が田の中に残され,石の小祠(元稲荷)が置かれた。その後,国道3号の拡張工事により,鳥居柱は国道脇に移された。稲荷神社の境内には,仁王像をはじめ,日置市指定文化財が多く現存している。十月末頃,裏山の椎の木の根元には,国指定天然記念物であるヤッコソウが自生する。
(「稲荷神社の史跡群」案内板より引用) 
 諏訪神社
この諏訪神社は約千年前建立され市来郷荘社として住民の尊信を集め,島津家の信仰も厚く毎年奉幣使臣を遣わされ特に貴久公・重豪公の如きは数度にわたり治国平安子孫繁栄の祈願された由緒ある神社である。
(「諏訪神社の由来」案内板より引用)
 温泉神社(湯之権現) 
湯之元温泉は,寛永17年(1640年)ごろ,郷士黒川大煩兵衛によって発見され,明治4年の廃藩置県のころまでは,島津藩の経営であって,御前湯や地頭湯もあり,島津藩主一族の湯治にも使用されていました。(中略)
 この温泉神社は,湯之元温泉の発見及びその興隆に尽力された先人の労苦に報いるために建立されたもので,小高い丘の中腹から湯のまち「湯之元」の発展と信仰を見守り続けています。(温泉神社境内の案内板より引用) 
 遠見番山 
山頂に弁財天の石祠があって弁財天岳と呼んでいたが,江戸時代の末になって外国船が近海に出没するようになって,ここに遠見番所ができてからは遠見番山と呼ぶようになった。(東市来町誌より引用)
校歌にも,♪遠見が岡に 立つ雲に 高いのぞみに胸張って♪と歌われています。  
内之田池 
この池は,大昔から自然の沼地であり,村の所有地である。村の北にあり,東西40間,南北30間,周囲6町23間と,県から国への行政報告がなされている。
 文政10年と明治19年に水道弁の補修が行われており,戦前には,秋の池神祭りや池替えがあり,大ウナギや鯉取りで賑わった。又,冬には鴨の大群が飛来し,盛んに鴨猟が行われた。(内之田池公園案内板より引用) 
 湯之元温泉 

現在準備中です。  日置市観光協会ホームページをご覧ください。

校区の行事・祭り

湯之元馬頭観音馬踊り
湯之元温泉に春の訪れを告げる湯之元温泉馬頭観音馬踊り。 色鮮やかに着飾った鈴かけ馬と踊り連が太鼓・三味線・おはやしにのり、湯之元の温泉街を練り歩きます。 また、市道の一部では歩行者天国になり、木市などの出店で終日にぎわいます。毎年4月の第2日曜日に開催されています。 旧国道では、木市が開催され、色とりどりの花や苗木が並びます。 祭りの当日、湯之元温泉街は、終日大勢の人でにぎわいます。(日置市観光協会HPより)
 湯之元温泉とうろう祭り
日置市東市来町湯田で開催される「湯之元温泉とうろう祭り」。市民手作りのとうろう約500個が真夏の温泉街の夜を彩ります。 また特設ステージでは、郷土芸能や抽選会が行われます。(日置市観光協会HPより)

本校の児童も育成会単位でとうろうの作成を行い,とうろうを出品しています。とうろうコンテストも行われます。

ナビゲーション

information

日置市立湯田小学校

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鹿児島県日置市東市来町湯田4042番地3
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FAX.099-274-2310