島津日新公忠良

 島津忠良は,1492年伊作城で生まれました。幼名を菊三郎といい,父善久が死去した後,母常盤は,海蔵院の頼増和尚に教育を頼みました。

 忠良は,伊作城主となり,加世田城を攻め落としました。その後,忠良の長男貴久は,島津本家の城主となり,三州統一に力を注ぎました。

 忠良は,隠居し日新斎と名乗りました。

 鎌倉時代後期,伊作島津氏
初代久長が築いた山城「亀丸城」が花田小の東方1kmにある。
 亀丸城は,その後10代忠良が加世田に移るまでの250年間
の居城であった。

 いろは歌を作った日新公忠良は,伊作城が生誕地であり,花田小の校歌にも歌われている。