西行法師
 西行法師は,鳥羽上皇に仕えていたが,世の無常を感じ,23歳で西行と名乗って,出家し,諸国行脚の旅についた歌聖である。

何ごとのおはしますはかは知らねども  かたじけなさに涙こぼるる

 三国名勝図会に,西行坂は,花熟里村あり,と書かれている。

 昔,西行が坂にて休めるとき,童子が鎌を持ち通りかかる。西行が「小童子,何処へ行くのか。」と問いかけると,
『冬草の夏立ち枯れを刈りに参る。』と答えた。西行は何のことか分からず休んでいたところ,先ほどの童子が刈り取った麦を背負って帰ってきた。

 西行は,都を離れたこのような土地にも風雅な言葉を遣う童子がいるものか,この先どのような恥をかくかもしれない。先ずはここまでと引き返したということである。

 花田小学校の校歌にも,「西行法師もその昔 行脚の杖を休めたる」という歌詞があります。